ミニマリストの合理的な生活

30代男性ミニマリストが人生の最適解を追求するブログ

思い出は「捨てるとき」に強烈に蘇る。

こんにちは、ミニマリストたくと(@mini_tact)です。

 

みなさん、捨て活(今風に言うと)は進んでいますでしょうか。

「捨てにくいもの」の中には「思い出の品」というものが代表としてあると思います。

 

「写真」「手紙」「よく聞いたCD」「お気に入りだった服」「幼少期親に買ってもらったもの」「昔の忘れられない恋人に貰ったもの」「連絡先」挙げればきりがありませんね。

 

先日実家の片付けをすることになり、実家に少し残していた私物を処分しました。実家に残してきたものなんて直近で必要としなかったものですから、全て処分してもなんの問題もないわけです。しかし、長い時間過ごした場所には思い出が多分にあるのも事実なんですね。

思い出の品の処分には痛みを伴います。私も、「本当に処分してしまうか・残すか」「写真を撮って捨てるか」「あえて何もせず心に刻み込んで捨てるか」などとかなり悩み抜いて作業をしてきました。

 

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※中~高のとき買ったCDが出てきました。めちゃめちゃ懐かしかった。もう「CDを聴くもの」がないし、全て処分しました。

 

最近では思い出の品を捨てることが多く、そこでいくつかの気づきがあったので今回お話してみようと思います。

「持っている」という状態にはある種の安心感があります。思い出の品は持っていればいつでも好きな時に見ることができる。いつでも思い出に浸れるし、掃除のときに発見すればしばらく眺めてしまう。しかし、その安心感のせいで逆にたいして思い出すことがなかったりする。

 

考えてみてください。思い出の品を残している人は世間一般では多いと思いますが、例えばそれを1年間で何回、わざわざ引っ張り出して鑑賞しますかね?下手したら年間で一度も見ないこともあるかもしれません。

 

これは実体験なのですが、ものは捨てるときに強烈に当時の思い出が蘇ります。それは思い出の品を眺めたり触ったり、読んだりするときとは訳が違う鮮明さです。ものによっては捨てるときに涙が出てきます。自分の場合は、中学生のときに買ったジーパン(今でも履けていた)と小学生のときに買った漫画のワンピースとハンターハンターを捨てるときには涙が出ました。

「この品を処分してしまったら、恐らく私の手に戻ってくることはない。二度と見ることも、触れることもできない。」という感覚・覚悟が、当時の思い出を鮮明に蘇らせるんだと思います。

 

このときの記憶の蘇り方は本当に強烈です。今まさに失おうとしているから、強烈に当時の感情・当時の自分・風景を思い出す。脳がフル稼働している感覚です。

 

そんな思いまでして本当に捨てる必要があるか?と思う人もいるかもしれませんね。だからこそ、世の中には思い出の品を捨てられない人が多いのでしょう。

個人的には、眠らせていて使いもしないのにただ安心のために所有しているくらいなら、一度強烈に記憶に刻み込んでから処分してしまうべきだと思います。

二度と手にできないのは寂しいです。だけど、それでいいんじゃないかと思います。もしかしたら、捨てなければ二度とこの記憶は思い出さなかったかもしれない。

 

これは物だけじゃなく、人間関係にも言えるかもしれないですね。「この人とはたぶん二度と会うことはない」「自分可愛さにこの人は切る」そんなときにこそ、いかにその人が大切だったのか、大事だったのか、自分の中での存在の大きさが分かるものです。「あまり好きではないな」と思っていた恋人と別れるとき、意外にも食事ができないくらいのダメージがあったなんて経験ないですか?大切なものは失うときに分かる。

 

「捨てる」という行為はある意味感情に触れるということなのです。

 

捨ててから「捨てなければよかった」と後悔することもあるかもしれない。でもそれでもいいんじゃないかな、と個人的には思います。後悔しまくって、次後悔しないように生きることしかできないんですから。

 

 

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